阪神タイガースのOBで、3期監督を務められた吉田義男氏が亡くなられた。
去年の夏には甲子園球場100周年で始球式で元気な姿を見せてくださっていたので驚きました。
謹んでお悔やみ申し上げます。
失礼ながら、第一声は
「えっ、よっさんが」
阪神ファンはみんな親しみを込めてこう呼んでいました。
現役時代は牛若丸の異名をとる名遊撃手。今でも歴代ナンバーワンショートに吉田氏を挙げる方は少なくありません。
監督時代は何といっても球団初の日本一を達成した名将。
その采配はとにかく我慢という印象。
2期目の監督が決まった1984年オフ。
打撃はいいものの走れない、守れないで構想外候補だった外国人選手を球団に残すようにお願いし、1985年の開幕を迎えるも2試合で5三振の絶不調。
走れない、守れないに打てないまで加わり迎えた開幕4戦目。
相手は巨人。先発はまだ若い槙原寛己。
その日もチャンスでダブルプレーに倒れるなど不調が続くも粘り強く使い続ける吉田監督。
その期待に応えたのは7回。
値千金の逆転3ラン。
そこから、バックスクリーン3連発、セリーグ優勝、日本一。セリーグ初の外国人選手三冠王ランディ・バースが誕生するんですね。
我慢強さのあまり最下位になるシーズンもありましたが、選手・球団への愛は人一倍でした。
私もこの仕事をする上で一番大切なのは我慢だと思います。
我慢して我慢して我慢して、それでも応えてくれない生徒をさらに我慢する。
吉田監督から教わりました。
どうか、天国でゆっくりとこれからの阪神タイガースを見守ってください。