神戸で育った私にとって、この日を忘れることはありません。
阪神大震災から30年。
あの揺れを神戸で経験した私は、今年も若い世代に伝えていきます。
まだ外が暗い早朝、とてつもない揺れで飛び起きたこと。
揺れは地震訓練車のようなトラックがありますが、まさにあれでした。
家族4人それぞれの部屋で寝ていましたが、落ち着いたところで居間に集まり。
そう、電気がダメでしたね。電話もダメ。
近くの公衆電話が使えたので、親戚には連絡できました。
最近は公衆電話もめっきり少なくなりましたので、こういう時に備えて最寄りの公衆電話の確認も必要かもしれませんね。
夕方のスーパー。
「ただいまパンが到着しました」のアナウンスで、みんな駆け足でパン売り場に殺到したのを覚えていますね。
高校2年のときでしたが、学校は2週間休みになりました。
震災の光景を目に焼き付けようと、一週間後一人で神戸の中心街三ノ宮に行きました。
今思えばまだビルが倒壊する可能性があるので間違った行動でしたが。
ちょうどその中心街の中心が一番被害が大きかったですね。
日ごろ見慣れた景色が一瞬でこうなってしまうのかと唖然としました。
と、思えばすぐ隣の元町駅は大した被害はなく営業しているパチンコ屋なんかもありましたね。
地震の被害ってそうなんかと感じました。
思い出せば話すことはまだまだたくさんありますが、とにかく命を守る。それに尽きます。
食料、水、ライフライン、何とかなる。
命だけはそのときその場で守らないといけない。
そのためにできること。今一度話し合いましょう。